10年前に会社を辞めた時、私は40代後半で定年まであと10年あまりの頃でした。
新卒で入社した会社は環境も居心地も良く、仕事はハードだけどおもしろかったので、いつの間にか私は最年長女子社員になって20年近くになろうとしていました。
ところがその頃、かつて元気だった憧れの諸先輩がだんだんとしょぼくれていくように私には見えました。
定年近くなるとみんなしょぼくれてしまうのかしら。
勝手に定年と言われて仕事を辞めることになるのは不本意だなあ。
仕事を辞めるのも続けるのも、会社に決められるんじゃなくて自分で決めたいなあ。
できればこれからは、社会に役に立っていると実感できる仕事がしたいなあ。
当時、私はそんな風に思っていました。
それまで25年働いてきて 、ちょうど一段落。
(当時は25年以上働けば厚生年金の受給資格を得ることになっていました)
会社の私はマネージメントや後輩育成に主軸を移し、片目をつぶりながらもできるだけ任せて、意識して現場から離れたほうがいいだろうことはわかっていました。
その方が若手も成長するからです。
だからと言って、私は遺伝的に長寿の家系だから長生きしそうだから、60歳で定年してもまだまだ元気だろうなあ。
何しようかなあ。
「何か次の新しいコト」を始めてみようかなあ。
と、だんだん思うようになったのです。
何か新しいコトを……
~そうしたらきっと、しょぼくれることもないだろう…。
そんな漠然とした思いで私は退職を決めたのですが、そこには尊敬する先輩が元気のなくなる姿を見たくなかったという側面もありました。
自分の将来像を見るような恐怖があったからです。
あれから10年。
会社を辞めてから私は試行錯誤を繰り返し、いいこと、悪いこと、面白かったこと、苦しかったこと、いろいろありました。
この間に私自身もいろいろ変わったかもしれないけれど、社会は想像以上に大きく変化しました。
周りの友達は子育てに専念していましたが、10年経って友達の子育ては終わり、みんな外に働きに出るようになりました。
60歳定年と思っていたらば、定年延長が当たり前になりました。
女性活躍推進法で、女性に対する軋轢もずいぶん変わりました。
10年前には「定年後」の60歳以降の理想は悠々自適と言われていたのが、今や人生100年時代の一億総活躍社会!
オイオイ! ずいぶん話が違うんじゃないの?!
ゆでがえるなどと揶揄される50代の私たち世代。
定年延長があろうがなかろうが、再雇用されようがしなかろうが、あなたはこれから何年生きますか?
どこで、誰と、どのように生きていきますか? 暮らしていきますか?
人生100年と連呼され、実際にみんな100歳まで生きるような今の時代には、そんなことが問われているのですね。
かつて私はオマセさんで、先を見てきたつもりでした。
そんな先のこと、40代のうちに考える人なんて私の周りにはいなかった。
でも時代はもっとスピーディーに進んでいたのでした。まるで浦島太郎ちゃんになったみたいです。
今の50代は、長いこと先のことを考えるきっかけや機会もなく生きてきました。
ほんの少しだけバブルの恩恵にかすり、バブル崩壊後と共に一生懸命働いてきました。
OJTと称して先輩の背中を見て仕事を覚えていくのが基本で、きちんとした研修や自分自身のキャリアデザインはおろか、生き方について考えていく機会をあまり持ってこなかった人が多数派ではないでしょうか。
私は人より先に考え始め、まず行動したことは少しオマセさんだったかもしれないけど、それはとんちんかんでした。
考えていたつもりが、肝心なことは全然考えてはいませんでした。
私がなぜ早まったかと言えば、私にはロールモデルがいなかったからかもしれません。
会社ではずっと最年長女子社員で私が道を作ってきた自負はあるけれど、それはあくまでも結果。
予めプランニングしていたわけではなく、自分の将来像がまったく描けませんでした。
数年後に目指したい目標にする人も、逆に反面教師にする人もいなかったのです。
それを参考にしながら、じゃあ私はどうしよう?などと考えることはありえなかったのです。
今さらながら早まったと思うことがたくさんあります。
一方で飛び出してよかったと思うこともたくさんあります。
早まって失敗したからこそわかったことがあります。
これからを考えている50代の人に、私が何に後悔し、何に納得しているのか、を伝えていければと、今、私は思っています。
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