家族葬にすることをどうやってお知らせしたらいいか―ーーそういうことはネット上にいっぱい出てくるのですが、
家族葬が終わったことをどうやってお知らせしたらいいのかーーーそういうことは、調べてもなかなか出てきません。

今や、葬儀と言えば家族葬が主流。
コロナ禍で今のような状況になると、親戚ならいざ知らず、それ以外の人に、果たしてどれだけの人が家族葬で送ると周りの人にお知らせしているのでしょうか。
そもそも、亡くなったこと自体をどれだけの人にお知らせするのでしょうか。
家族葬でやると決めたとしたら、わざわざ家族葬でやるとお知らせなどするのでしょうか。

ましてや超高齢化が進み、長期入院や施設に入所するケースも多くなった今の時代です。
現実はきっと、訃報は家族や限られた親せきだけに知らせる程度で
ほとんど回りにはお知らせせず、全部が終わってから、さてどうしようかな、と…
そんなところが多いのではないでしょうか。

そうなると、例えばお友達に、例えばご近所に、
亡くなったことをいつ、どうやってお知らせすればよいのか…。
ここはとても悩ましくなってくるのです。

それぞれの事情や環境、おつきあいによっていろいろではあるでしょうが、
実際、我が家の場合も限られた近い親戚以外には、どなたにもお知らせしませんでした。

私の老親は夫婦二人で暮らしていました。

そこはかつて私が育った場所でしたが、私たち子どもが実家を出た後に、
両親は「終の棲家」のつもりで、バリアフリーで趣味スペースも設けた純和風な創りの家で、自分たち二人だけの老後を楽しんで暮らしていたのです。

けれども父は亡くなる2年半前に老人ホームに移りました。
そこで母はしばらく一人で暮らしましたが、1年半ほどしてから父のいるホームの目の前にある同じ経営のサービス付き高齢者向け住宅に住み替えました。

父が亡くなったのは、母がそこに住み替えて半年後のことでした。
私たち姉妹は、その半年間空き家になった実家に毎月集合し、空気を入れ替えたり、両親が大切にしていた宝物を整理し始めたり。
でもなかなか進まない途中で、父は亡くなりました。

90歳を過ぎた大往生。
父のきょうだいも高齢だし、コロナ禍だったので、家族葬で父を送りました。
そこで悩んだのが、さてご近所にはいつ頃、どのように報告しようか、ということ。

両親はそこに暮らして約50年。
リタイア後は町内会の活動もしていました。
50年前、近隣の子どもたちは私と同じすぐ近くの同じ小学校に通っていました。
今のご近所さんの多くは当時の子どもの親たちで、両親とほぼ同世代です。
私が子どものころからよく知っている、近所のおじさんおばさんだったり、子どものころの同級生やご近所のお姉さんだったり。知らない仲ではありません。
中には代替わりした子世代もちらほら住んでいます。
隣りにだれが住んでいるか知らないというような、今の時代のご近所づきあいとは少し違っていました。

亡くなるときに家に住んでいたわけではない
 今さらそんなこと報告されても、ご近所としては困るのでは?
 報告することが、結果的に香典や供物を催促するようなことにならないだろうか。
 既に空き家だったのだし、書面挨拶だけの方がスマートではないか。

私たち姉妹は、相談した結果、四十九日を終えたところで報告に行くことに決めました。
両親が比較的親しくしていたであろうお宅数軒だけにしぼり、姉妹3人揃って。
お菓子を持参し、家族葬で済ませたのでとすべて固辞を前提に、玄関先で挨拶して帰ることにしたのです。

さてお訪ねしたら、どこのお宅も最初は大変驚かれました。
でもすぐに、玄関先ながら、私たちが知らない両親のいろんな話を聞くとてもいい時間になりました。

かつて葬儀というのは、こういうものだったのでしょう。
家族が知らない個人の話をいろいろ聞ける時間。
私たちがしょうもない親だと思っていても、ご近所さんとどんなお付き合いをしていたのかがうかがえ、それはとてもいい時間です。
昨今の家族が進む世の中で、大事な時間が消えようとしているのは残念に思います。

そういうなかで私たち子世代があまりおつきあいがなかった1軒だけがご不在で、ご家族に伝言して失礼しました。

それから1か月後、偶々私が用事で1週間ほど実家に泊まることになりました。
その3日目に、ご家族に父死去の伝言をしたご近所さんが訪ねてきました。
白い水仙の花束とお線香を持って、父や母にどれだけ世話になったかを長々と話し始めたのです。
父が自分たち家族にどんなことをしたのか。
そのおかげでどれだけ自分たち家族が幸せだったか。
会いたい、会いたかった。
そう言って、止まることなくずっと話し続けました。
父や母は、いろんな場面で彼女の相談にのったり、世話を焼いたりしていたようだったのです。

そんなことは全然知りませんでした。

私たち娘は、弱ってきた父に振り回されたり、言い争うことが増えたこともあり、周りに迷惑をかけてばかりと思っていた父が、近所にこんなに慕われていたとは知らず、なんともしみじみした気持ちになりました。
晩年父が施設に入所する直前には、父が「助けてほしい、救急車を呼んでほしい」と、調子が悪くなった際に突然訪ねた家の方でもあり、父に付き添ってくださるなど、本当によくしてくれた人でした。
でもこういうお話を聞くと、両親が良い関係を築いていたからこそ、ということにも気づかされたのです。
ご近所さんからこんな話を聞けたことは、私自身の父への気持ちを温めてくれました。

しかも両親の丁寧な暮らしぶりがうかがえたことは、日々を雑に生きている私自身のこれからを考えるきっかけまでをもらったようにも思えます。

昔、ご近所さんも来るようなお葬式があったときには、こういう話を聞く機会がきっといっぱいあったのでしょう。
昔のお葬式はいろいろな人が来て気遣いが大変で、家族は悲しむ時間もない、だから家族葬に、とよく言われるけれど、昔のお葬式には家族が知らない故人を知ることができる、そういう偲ぶいい時間があったはずです。
コロナだし、周りの人も高齢だし、そう思って父を家族葬で送りましたが、そのせいで私の知らない父に出会う可能性も減らしてしまったのだとしたら、それはとても残念なことです。

それでももう、昔のようなお葬式が主流の時代が戻ってくることは、きっとないでしょう。
これからは、故人を知る人の話を聞く時間や、故人を偲ぶ時間は、意識してわざわざ作ろうとしなくてはなかなか難しい時代なのかもしれません。
でもそれをしていくことで、お別れの受け止めがかわってくるのではないか。
そんな風に、私は感じています。

 

あとになって、本来だったら訪ねてきてくれたご近所さんを家の中にお招きし、お参りしていただくべきところだったのに、玄関先でのお話で本当に申し訳ないことをしたと気づきました。
でも、実家は空き家のため父の遺骨は別の家にあったし、家の中は整理中でごったがえしており、お迎えする用意もなかったのです。
これも、子世代が離れて暮らしていれば、きっと今の時代、よくあることなのかもしれません。