「これ、差し上げます」
手渡されたのがプリントされた写真でした。
私は、地域で「終活カフェ」を行なっています。
毎月1回、終活で何か決まったテーマを設定し、それにまつわる情報を提供したり、専門家を呼んで話を聞いたりするのですが、地域にお住まいの高齢者が参加しています。
この終活カフェは、地域の社会福祉協議会のバックアップを受けて、昨年から始まりました。
予約なしでいつでも誰でも参加できる形ですが、毎月欠かさず参加する人も多く、だんだんと顔馴染みにもなります。
写真をくれたのは毎月参加している男性で、ちょうど私が話をしているところを撮影したものでした。
こうやって、人から写真をいただく、というのは、どれくらいぶりだろう⁈
その昔、旅行に行けば写真をプリントし、一緒に映っている人の分を焼き増しして配ったものです。
写真を渡すために会ったり、写真を見て旅行の思い出を語り合ったり、おかしなショットに大笑いしたり。
スマホが当たり前になった今、当時よりはるかに気楽にたくさん写真を撮るようになりました。
しかも、いつでもどこでも誰でも、そこそこ上手に撮れます。
でもその写真はスマホの中にあるのが当たり前で、共有すると言ってもお互いがスマホの中を見る。
プリントすることなど、まずありません。
だからこんな風にプリントした写真をいただいたことを、ちょっと懐かしく思い、感動しました。
聞けば、フィルムカメラで撮った写真とのこと。
今ではさくらもコダックもなくなって、富士フィルム1社しかフィルムはありません。
そのフィルムも高価になり、売っているところも限られ、手に入れにくくなってきたそうですが、
それでもその人はいつもフィルムカメラを持ち歩いているそうです。
昔から慣れ親しんだそのカメラがお好きだから。
あ!と気になったらすぐ撮りたいから。
こうやってプリントした写真をいただいてみると、こういう写真は、すぐに近くの人に見せられるのがいい。
「ほら!いただいたんです」と、すぐに周りの皆さんに見せてしまいましたから。
その写真を見て、ああでもない、こうでもない、とみんなでその場で語り合えるのがいい。
スマホの中の写真は、本人が見る限りは便利で手軽でかさばらなくていいけれど、複数で見るのはなかなか大変。
見て見て、と言われても、なかなかよく見えないので、細部などほとんど確認できません。
ましてやその写真について、大勢でああだこうだ言うなんてできません。
盛り上がることもちょっと難しそうです。
スマホの普及は、どんどん世界を「個」にしているのですね。
人と関わらなくてもいいような世界へと。
プリントした写真をいただいたことをきっかけに、そんなことをしみじみと思いました。