介護というわけではないけど、実家に行かねばならない。

来てほしそうだから、
顔を見せに行かねば。
親の様子を見に行こう。

そういう時期のことを書いたことがあるけれど、今思えば、それは介護始まりの予告みたいなものだったのかもしれません。
40代は仕事が忙しい、子ども関係が忙しい、遊びに忙しい、学びに忙しい、ボランティアに忙しい等々、活動的な時期なので、実家のこと親のことになどなかなか関わってなどいられない気持ちです。
それなのに、どうも実家に時間がとられるようになってきた~という話、40代後半以降はよく聞くようになる時期でもあります。

我が家がそうなったのは、私が50代になってからのことでした。
それまでは両親は特に不自由なことがないばかりか、二人ともかなり勢力的に好きなように暮らしていました。
たまには子どもである私たち家族と食事会をしたり、旅行に行ったりもしていましたが、
子どもである私たちが、定期的に行かなくてはならない空気に少しづつ変わっていきました。
離れて暮らしているので、実家に行けば移動も含めてかなり時間もとられるし、忙しい時には負担でもあります。

我が家の場合、このような状況がだいたい5年くらい続き、そのうちその頻度がだんだん増えていきました。
そして、親からのSOSの連絡が入るようになっていきました。

我が家は3姉妹で、私は長女。
私には子どもがいませんが、妹たちにはそれぞれ子どもがいます。
子どもたちの年齢はいろいろで、実家との距離もそれぞれ違い、姉妹の働き方もさまざまなので、
動きやすい時間や連絡がつきやすい時間はみんな違うし、家庭の状況もみんな違います。

だから、すぐに実家に駆けつけられる人、駆けつけられない人、さまざまだし、
何かコトが起こった時に、どうしようか?!という考え方や対処のしかたも、姉妹が必ずしも一致するわけではありません。
それでも最近は実家に行った時の様子などを姉妹間で情報共有するようになりました。

情報共有というと大げさですが、
実態はSNS(我が家の場合はLine)でグループを作り、実家に行って来たらそのときの親の様子や写真を送ったり、業務連絡をしたり…。
これで、大体の親の様子がわかります。
親も、相手によって見せる顔が違うようなので、大丈夫そうにしていても実は大変とか、どうも甘えがちだったりするのもわかってきました。

孫の顔を見るのが楽しみだった両親は、
孫は可愛いのだけど、だんだん自分たちが大変と思う気持ちの方が今や大きくなっていったようで
孫に会うのは嬉しいけど大変、という何とも微妙な感じです。

親の問題、介護をどうしよう?という話の中で、意外にキモなのは子どもたち自身、子ども同士のこと。
さすがに最近は、嫁に任せるという人はずいぶん減ってきたようではありますが、
「兄は仕事が忙しいから、妹である私が親の世話をせざるを得ない」という話はよく聞きますし、
「こんなに私がやっていることを、きっと妹は知らない」等々、
親の世話が大変になってくると、子どもたち兄弟姉妹の関係性がそのまま問題として露呈してくるケースは少なくないように感じています。

これはもう問題勃発寸前。
介護が始まると、益々大変になっていくのは明らかですし、そこにはお金の問題も関わってきます。

 

離れて暮らす老親 介護始まり日記⑤じわじわと忍び寄る” に対して1件のコメントがあります。

  1. 小川卓也 より:

    ”じわじわと忍び寄る”、離れて暮らす私の両親もまさにそのような状況を感じています。
    オープンに話して準備ができればよいと思うのですがなかなか面と向かって話せずにいます。
    今月帰省するのですがきっとまた話せないんだろうなあ。。。

小川卓也 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です