超高齢社会になり、「延命治療はお断り」と言う人が多くなってきました。

医療で無理やり生かされるのはイヤだ、
老いの自然な進行であるなら、家族としてもそのまま自然な形で眠るように逝かせてやりたい、
そういう声は決して少なくないと思います。

しかし、実際にその現場に立ち会い、本人が頑張っての呼吸をしているのを目の前にしながら
「延命治療を拒否」し続けるのは、そう簡単なことではありません。

これ以上手を尽くしても回復することは難しい状態で、もう自力で食事をすることができなくなり、
経管栄養か胃ろうという方法しかないことを医師から伝えられ、そこで判断を迫られた家族。
自分がその当事者になり、これまで何度も話し合い、イメージしてきたはずでしたが、
いざ、訪れた現実に向かい、なかなか難しいことを改めて感じます。

医療の進歩で、かなりの期間、命をつなげていくことが可能になってきています。
命を救うこと、生かすことが使命の大学病院などの急性期医療とは違い、
在宅医や高齢医療などの慢性期医療の現場では、その命をもっとつなぐのかどうか、
そこには「選択」が必要になってきます。

カラダは「死」への準備に入っている。
点滴や胃ろうなどの経管栄養で水分を入れることで、カラダはどんどん浮腫んでいくだろう。
要求する以上の栄養を入れることは、本人にとっては逆に苦痛になる可能性もある。

「平穏死」を提唱する石飛幸三先生など、高齢者の終末を多く診てきた医師がよく語ることです。
でも、ついこの前まで元気だったのに...、そう思う家族には、なかなか理解しにくいことかもしれません。

そんなこと、私は百も承知と思っていました。
今までに何度もそういう話を聞いてきたし、現場の話も聞いてきたし、理屈としても理解していました。
だから我が家の場合も、だんだん弱っていく父を前にして家族で話し合いを繰り返し、
もしそういうときが来たら延命治療はお断りしようと決めていました。

でも、いざその場面を前にすると、なかなか心は揺れるものです。

誤嚥性肺炎になったり回復したりを繰り返しながらCRP(炎症の値)が基準値の100倍を示した父は、
主治医の判断で施設から救急搬送されました。
肺炎に加えて、肺の膿瘍で、もう食べることはもちろん、水を飲むことすら難しい状態になっていました。

食事を食べられないということは、人工的に栄養を入れるかどうかを決断する、という状態です。
本人や家族が、どういう選択を望むかどうか、です。

人工的に栄養を入れることは、私たちが望む形ではなかったので、
救急搬送先の医師にそのことを伝えました。

それなら施設にお戻りになる前提で、劇的な回復は難しくても病院では抗生物質を続け、退院という形でもいいですよ。

時期はコロナ禍。
入院している限りは、面会すらできません。
そこで私は、家族全員が会えるタイミングを探り、
それに合わせた1週間後に日時指定して退院させてもらうことにしました。

いざ退院の日。
父は車椅子で病室から現われ、「よおっ!」と手を挙げて私たちを驚かせたのです。
予想以上に抗生物質の効果が表れ、一時的に肺炎が治まったようでした。
退院して施設に戻るそのタイミングで、家族全員の面会も叶いました。
しかし人工的な栄養補給を断ったので、施設に戻っても、もう食べることも、水を飲むこともできないのです。

本当にこれでよかったのだろうか。
まるで父の死を待つような形になっているのではないか。

終末期のことはいろいろ勉強してきたし、平穏死の概念も十分わかっていたつもりだったのに、
私の心は大きく揺れました。

退院後、施設に戻ってからは、コロナ禍でしたが施設の配慮で、
1日に15分以内、1回に2人までの条件で面会を許され、家族が代わる代わる通いました。
もう車椅子に座ることはなく、ベッドで横になっていましたが、声をかければ答えます。
翌日も、その翌日も、その翌日も・・・。

食べることも、水を飲むこともできないこのままにしていいのか。

もしも今、食べたり飲んだりしたら、誤嚥するどころか、
それで窒息して苦しむ可能性があることは主治医から聞いていました。
点滴などの余計な水分は、体の中に溜まって浮腫みがひどくなることも、前々から知っていました。
そんなことはわかっているのに、目の前の父を前にして、
自分が悪いことをしているような気持ちになっていくのです。

延命治療の拒否というのは、
昏睡状態で意識がない状態が長く続いているときに行うものだと、
私は、どこか勝手にイメージしていたのです。
抗生物質の力によって一時的に元気になり、意識があったとしても、
自力で食べることも飲むこともできない。
~そういう状態で延命治療を拒否するかどうかを決断せざるを得ない場面が訪れる
という現実を、私は想像していませんでした。

退院して7日を超えたところで、父は眠るように逝きました。
91才でした。

葬儀までの数日の間に実家に行く機会があり、父のパソコンを開いてみたら、
デスクトップに「これから不要な病気に対する事前指示事項」というファイルを見つけました。

これから不要な病気に対する事前指示事項

本人に意識がなくなっているときはもちろん、余命幾許もない状態に際しては不必要である。

一、心肺蘇生(心臓マッサージ・電気ショック・気管内挿管)
二、気管切開
三、人工呼吸器
四、強制人工栄養、鼻チューブ、胃瘻 など
五、末梢静脈輸液・大量皮下注射
六、人工透析
七、輸血
八、強力な抗生物質の使用

これを読んで、私は救われる思いがしました。
果たしてどこまで父が理解してこれを書いていたかはわかりませんが、ここまで詳しく書いていたとは。
父が飲まず食わずだった数日、心はとても揺れたけれど、私たちの選択は間違っていなかったのだ、と。
これは私だけではなく、妹たちも同じ思いだったはずです。

クモ膜下出血で長く寝たきりになった祖母を見て、私の父は
「もしも将来オレがこういう風になったら、おまえが毒を盛れ」と私に言ったことがあります。
当時の父は50代でした。でも80代半ばに
「120才まで生きられるいい薬がアメリカで開発されたらしい。手に入らないか?」と
言ったこともあったので、正直なところ、父の意志を図りかねていました。

パソコンに残された書面を読んで、
できれば元気で長生きしたいけれど、無理な医療は受けたくない、ということ
だったのかと理解することができ、ほっとすることができたのです。

今や「延命治療の拒否」があたかもデフォルトのようですが、
どんなにそれを理解していたとしても、いざその場になったとき、
家族にとっては、そう簡単なことではありません。

多くの人は終末期について、そうそう理解はしていないので、
延命治療は拒否すると言いながら
「なんで点滴をしてくれないのか?」
「病院は何もしてくれない」
と、しばしば言うものです。
たとえ十分理解していたはずの私も、本当にこれでいいのかと悩んだり、
自分を責めたりしてしまうのですから、それは当然でしょう。

延命治療を拒否するにしろ、しないにしろ、
その思いを伝えておくことがいかに重要であるかがよくわかります。話しておくだけでなく、できれば書面にしておきたいところです。
それは、本人だけでなく、見守る家族や周りの人のためにも。
そうでないと、見守る方はあまりに苦しい。

思いを共有し、書面にしておくことは、本当に家族への思いやりそのものなのだと、
パソコンの中の「事前指示書」を見つけて改めて実感します。

延命治療のことだけではありませんが、
旅立った父から、終活の重要性を改めて教えてもらった気がします。

 

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